ダンサーから垣間見る無意識のセルフプロデュース力
「無意識のセルフプロデュース力」が身についている人を目の当たりにすると気持ちが打ちのめされる。自分自身にその資質を持ち合わせていないことを認知しているからだ。ただし気を取り戻す自己解決方法は持っていて、手順としてはまず羨望と嫌悪を紡ぎ、その行き場を「この人は別の惑星に住んでいる人」という自答の中に押し込めて蓋をするという簡単な作業。欲しかった能力だけど、与えられなかったのなら仕方がない。私が持っている能力は別のところにあるのでそこを育てようと思えてからは少しずつ気持ちが楽な方向に向かっている。
さて、その「無意識のセルフプロデュース力」とは何を指すかというと、自分が好きなものと似合うものを認識していて、そこに向けて躊躇なくアクションを起こせること。「見せたい、見られたい」という感情に率直なこと。いまはInstagramなどでそういった能力を発揮している人を目にすることが多くなった。
過去に遡ると、「無意識のセルフプロデュース力」がこれほど身についている人たちはいないぞと感心していたのが「バックダンサー」をしている人たちだった。InstagramなどのSNS利用者が今ほど多くはなかった時代。私がこれまで仕事して来た売れっ子のダンサーさん達は、男女問わず自分を魅せるノウハウを本能レベルで熟知している。それはオンステージに限らず、ファッション面においても。いわば、そういう資質がある人だから何らかのタイミングで自己能力に目覚め、ダンサーとして頭角を現すのだと思う。踊りのスキルだけが長けていればいいってものでもないのだ。
ステージ演出や振付業を営んでいた私がダンサーさんと仕事を共にする現場といえば、アーティスト(歌手)のコンサートツアーやミュージックビデオの撮影など。アーティストによって制作予算に差はあるけれど、ミュージックビデオなどの映像作品においてはダンサーさんにもヘアメイクと衣装がついて、作品の一部として世界観を徹底させることが多い。ただ、全国を回るコンサートツアーやスポットのライブイベントなどではお金の出所も異なり、映像作品と同じような予算は組めない事情から、ヘアメイクはセルフで行うことが多い。衣装は主役のアーティストの衣装とリンクした色味や形や素材の物を衣装担当の方が用意してくれるパターンが多いが、主役の衣装ほどはお金はかけられないため、「それなり」の質感になるのは否めず、乱暴な言い方をすれば、俯瞰で見たときに主役の衣装とバランスが取れていれば成立。もちろん限られた予算と衣装担当の方の涙くましい努力を思うと文句なんて決して言うべきではない。そういうものなのだ・・・なんだけれども。
衣装ラックに掛かったダンサーさん達の「それなりの」衣装を見て思わず「これダンサーさんたち着るんだ・・・」なんて同情してしまうこともあった。
にも拘らず。驚くべきことに、ダンサーさん達は完璧に着こなす。用意されたその衣装を自分で施したヘアメイクで補うかのようにバランスを取り、なおかつ自己主張を忘れない。踊りや日頃のケアで鍛え上げられた美しくて見栄えのいい肉体は、人前に出ることを躊躇せず、「人に見せたい、見られたい」を前提で生きている証しだ。イカしてる!
プロのバックダンサーというのは、アーティストと同じステージ上で華やかさを求められるが、置かれている立場は「裏方」という一面もあるわけで。主役であるアーティストはステージに立つまでの過程でヘアメイクアーティストがいて、スタイリストがいて、管理するマネージャーやスタッフのサポートのもとステージで華やかでいられる。ダンサーの場合は、ステージに上がるまでのプロセスはほぼ自己管理だ。もちろん主役にのしかかるプレッシャーは計り知れないからダンサーとは立場が違うが。
いまでこそ菅原小春さんをはじめ、ダンサーが主役としてスポットライトを浴びる場面も出てきたが、私が知っている時代は、ダンサー界の中で名が知られている“スター”的な人は存在しても、お茶の間レベルで名を馳せるようなダンサーがいた記憶はない。ジャンルは違うがバレエの草刈民代さんくらいしか思い当たらない。
バックダンサーはあくまでもバイプレイヤーだと私は捉えている。縁の下の力持ち。しかしながら求められる華やかさは同じバイプレイヤーのサポートミュージシャン(=バックバンドのメンバー)以上だ。
「ステージでは主役の次に華やかな存在で何卒ひとつ、でもその準備は自分でなんとかしてね。」そういう仕事だ。だから売れっ子ダンサーさん達の殆どは自分で自分を良く見せる方法を知っている。本能レベルでその資質がある人が、現場を通して鍛え上げられるのだ。ダンサーさんはレッスン着や私服も拘りをもったイケてる子が多い。それも納得だ。いつだって自分を表現している「無意識のセルフプロデュース力」の達人だ。
私が知る限り、これまで一緒に仕事をしてきた売れっ子ダンサーたちは、与えられた条件の中で自分たちを素敵に見せる方法を身につけている。そういう能力があるから売れっ子だという考え方もある。それと同時に、売れっ子ダンサーの彼らは、そういう制約された条件の中で自分を魅せる方法を体得して、それを楽しんでいるように思えていた。
私が持っていない資質。だから同じ現場で仕事をしていても、「この人たちは別の惑星に住んでいる人」という感情がどこかにあって、一定の距離感を持って仕事をしていた。そして私より幸せそうに感じたことも距離を置いていた理由の一つだった。
今はコロナ禍で活躍の場を失っているダンサーさんが多いのだろうな・・・。
何とか活路を見出して再び輝いて欲しいと思う。
そういえば、お茶の間レベルで名を馳せるようなダンサーがいた記憶がないと記述したが、SAMさんのこと忘れてた。