中年の私がいつまでも身体を整えていたいと願う、一癖ある理由のひとつ

私にはファッションの世界を謳歌する才能がありません。 全く関心がないわけではありませんが、おそらく私のファッションへの関心は、世の基準値をはるかに下回っているので、そこに関しては最大限に手を抜いていたい。 できることなら、日々の服選びを楽しめるような人間でありたかったのですが、 残念ながら、私はそういう才能と資質を持ち合わせていませんでした。 嗚呼、ファッション。 それは私が天から授からなかった趣味趣好。 永遠の憧れでもあり、永遠に触れたくないものでもあるのです。 余談ですが、 先日、容姿端麗な30代前半の女性トレーナーの仲間に、私の「ファッション面倒問題」を吐露したところ、 「まったく同感です!私もお洒落が面倒臭くて、しまむら行きますもん!」 なんという嬉しい共鳴リアクション。 でもちょっと違う! 「否、しまむらまでちゃんと足を運んで、あの中からお気に入りの一点を見つける作業ができるだけ素晴らしいよ。立派なファッショニスタだよ!」 と、レベルの低い褒め合いと不毛な会話を繰り広げていたのを思い出しました。 話を戻します。 とにかく洋服を買いにショップ巡りをするのが面倒で、たまに遠足気分でZARAに行こうもんなら、入店して10分以内に疲弊します。そして服選びを楽しめない己を責めながら帰宅するのです。 なので、私は服を買う店も、選ぶ色も、シルエットも、ほぼいつも同じ。 スティーブ・ジョブズの気持ちがよく分かります。 出来ることならいつでも楽な格好で過ごしたい。制服化したい。 今では「アスレジャー」という都合の良いファッション定義が生まれてくれたおかげで、その恩恵を受けるかのごとく、エブリデーエブリナイト、ラフな格好です。 ファッションに対して同じような価値観を持った同年代の友人と、「ウチらなりのアスレジャー」で恵比寿の街を闊歩していた時、「ウチらの場合、アスレジャーじゃなくてただの運動着で街を移動してるだけなんだよな」と。あはは。 がしかし、ここで私の一癖が勃発します。 服は手を抜くが、人から「だらしない」と思われたくない! 完全にわがままな中年です。 自身の見た目に関しては、決して「だらしない姿」には映りたくないのであります。 10代20代が運動着のようなラフな格好で街を歩いていても、それはそれで絵になりますが、 私の年齢(シジュウニ)が、同じようなことをした場合、下手すると部屋着でうろついているオバちゃんになりかねません。大変危険な行為です。 中年がラフな格好で歩いてもだらしなく見えなくするには、体型と姿勢は整っていることが前提なのだと思います。 ファッションを謳歌する才能に恵まれなかったのであれば、別のアプローチ方法で己の身嗜みを整えるしかありません。 なので、決めたのです。 ファッションという身嗜みをサボり続ける以上、身体を整えるという身嗜みは続けようと。 ファッションで手を抜くために身体を整える。 新しい概念です。 私は身長も高くなければ、足も長いわけではない。いたって普通のニッポン人体型ですが、 その生まれ持ったスペック、そして加齢を受け入れながら、その中で納得のいく身体づくりをしています。 程よく筋肉があって、すっと伸びた背筋を保てれば、ラフな格好でもだらしなく見えないと思っています。 でも生まれ変わったら、インスタに#OOTD (=Outfit Of The Day) っていうハッシュダグをつけて、自撮り写真を躊躇なく載せられるような人生を送ってみたい。 生まれ変わった時にインスタが存在しているか否かは定かではない。 身体を整える。 動機やキッカケは十人十色。 私が身体を整えていたい理由のひとつをご紹介しました。 最後まで読んで下さってありがとうございます。

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年齢にあった身体づくりをみつければいい