日々の服選びに頭を使いたくないから身体を整える論

歩いている後ろ姿を撮ってもらったのですが、僧侶の袈裟のようなシルエットだったことを知りました。

哀しいかな、私には「ファッションへの愛と貪欲さ」が足りません。著しく欠如しています。
理解に苦しむ方もいらっしゃると思いますが、コンプレックスのひとつでもあります。

バーニーズニューヨークで服を買い漁っていた時代もありましたが、
「これを着ていれば認められる」という気持ちの方が優っていました。

私の場合は、服を楽しむというより、見栄と承認欲求を金で解決させるという意識の方が圧倒的に強かったですね。
本来の「服を楽しむ」という感覚からは掛け離れていたと思います。

現在は、自身の本質を理解して、そのコンプレックスと上手く付き合いながら生活しています。

できるだけ日々の服選びに頭を使いたくない。
体型隠しへの工夫に頭を使いたくない。
ユニクロでサクッと買って、サクッと着ていたい。
とにかくサクッとシンプルに服を着ていたい。

なので身体を整えています。
とりあえず「本体」を整えておけば、それなりによく見える。
そして他の作業をする手間が省ける。

私なりの手抜き=「身体を整える」なのです。

これは、マイノリティーな思考かもしれませんが、私には腑に落ちる手段。

身体を整えるというのは、ただ太っている痩せているという話ではなく、適度な筋肉と「姿勢」を意識すること。

体のシルエットって、姿勢で決まると思っています。特に後ろ姿。
どんな素敵な服を着ていても、姿勢が悪かったら服の魅力が隠れてしまう。勿体ない。

手前味噌な表現ですが、自身の身体について褒めていただけるようになったのは、40歳を過ぎてから。
それまで、体型を褒められたことなんてありませんでした。
(もちろん、年齢のわりにはちゃんとしているね、という意味合いだとは理解しています。)

30代後半から身体について学習し、運動指導者の道に進むことになったことがきっかけで
日常動作と食習慣が変わり、身体が変わりました。

過度な筋トレも食事制限もしていません。
シンプルに生活を見直していっただだけで、身体はゆっくり変わって行きました。

年齢を重ねても身体は変わります。
少しの工夫と習慣性を身につければ良いだけ。

しかしながら、ファッションに対する極度な面倒臭がり気質は変えられないかもしれません・・・。

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