ファッションを語る前に世の中の動きを知ってくれ。

朝から猛暑で顔が溶けそう。町内会主催のラジオ体操で全身の関節を程よく動かした後、帰宅してスマホでニュースを一通りチェック。世の中の動きを確認した後は、なんとなく目に止まったタイトルの記事を開いてみる。ある女性向けキュレーションメディアだった。

「ややぽっちゃりさんは避けるべき!NGな夏コーデ」という趣旨の内容で綴られている。該当する体型の女性に対して「避けるべき」と指南するワンピースのデザインを数パターン紹介していくものだったのだが、結論から書くと、私は非常に不快な感情を抱いてしまった。おそらく筆者(メディア)は無意識なんだろうけど、ようは「貴女の体型は人に晒すべきではない」ことを前提としてファッションをアドバイスしている内容だったわけで。その概念は誰が決めた?余計なお世話ですよ。
「あなたにはこれを着る価値がない。この体型ならば制限をかけて生活を楽しみましょう。」って言われているのと同じだから。多様性の容認と選択肢の自由をまるで無視した、時代錯誤も甚だしいアドバイスとしか思えなかった。

そこに該当する体型の人たちに対して「何故それを着るべきではないと思うのか」という確固たる信念を持って情報を発信しているのであればいいと思う。それが何かに特化したマニアックな記事であれば、それはそれでいいと思う。価値観は自由だから。だから指南するならそれに対するメディア側の考え方もセットにして提示すべきだと思う。これでは「これが社会の常識だよ。みんなそう思ってるんだよ。」とただ押し付けられているようにしか受け取れない。現に私にはあらゆるデザインのワンピースを嫉妬するほど着こなす「ややぽっちゃりさん」の友人がいる。とにかく服が似合う女。その時点でこの記事の内容は私にとって懐疑的だ。

「メディアがこんな記事を発信したら該当する体型の人が不快な思いするだろ!」とか、そんな次元で私はこれを書いているのではない。私はその体型に該当しないが、この記事を無視することはできない。あまりにも時代錯誤で価値観の多様性を無意識に否定している内容に納得いかないのは、私も別の形で「これまでの常識や概念」という呪縛から解放されて生きている人間だからだ。私自身の生き方を否定されかねない。

子供を持つことに関心がなかった私は、44歳の今まで子供を作らず、就職もせず、化粧もろくにせずに毎日動きやすい服装で暮らしている。そして集団行動ができない。私は社会不適合者でダメな人間なのかもしれないと自己否定した時期を経て、それが私の個性だと感じられ、自己肯定できるようになったのは、価値観の多様性の容認と新定義のバリエーションが増えつつある今の時代の後押しのおかげでもある。「女は結婚して出産して養われてこそ幸せ」「黙っていれば可愛いのに、という”褒め言葉”」「痩せていることは正義」という今までの価値観や暗黙の定義は時代とともに崩れ、変化し、多様性を持てるようになった。
それでも今は進化の途中。新定義の中で既に100%自信を持って生きている人もいるだろうが、まだ少しどこかで旧定義に翻弄され、新定義との狭間で葛藤しながら答え合わせをしている人は多いと思う。私は確実にその一人。

だからこそ、時代錯誤な「旧定義」を一般論として提示するメディアの罪は重いと思う。それが無意識で勉強不足が理由ならば尚更。

「女性のライフスタイルを応援する」と謳っているこのメディア。それならば、まずは多様性の容認と世の中の動きを知っていただき、その上で私たちの個性と魅力を引き出すアイデアを提案してくれるのがメディアの役割なんじゃないかしら。

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