胸張って職権濫用
今の仕事やってて良かったな、の話。
コロナの影響で外出する機会が減り、比例して運動量も減る。生活リズムも変化する。それによるシニア世代の健康被害が問題視されているが、私の両親も漏れなく対象だ。
父親は数年前、末梢神経の疾患で歩行が困難だった時期があったのだが、医療と理学療法、自宅で筋トレとストレッチを日々続けていたところ、以前よりも歩行がスムーズになった。現在も自宅での運動は毎日のルーティーンワークになっている。感染対策のため外出を控えた方がいい高齢の父が部屋で自ら運動することに慣れているのは娘にとって安心材料のひとつ。日々の積み重ねって大事だなと感心させられるが、そういうことが一人で黙々と持続できるのは非常に稀なケースだとも思う。
一方、母は区民集会所のような施設で催している高齢者向けの体操教室に週一回参加していたが、コロナ禍を機にその活動が一時中断され、再開後も母は控えている。集団感染への不安は拭えないので私もそれは賛成。がしかし、それと同時に運動不足への不安も拭えない。父のように一人で黙々と効果的な運動をこなすようなタイプでもないし、上述のとおり父は異例だ。母は習い事のように通えるお教室があって、指導する先生がいて、同年代の人たちが数人いて会話もできるようなコミュニティの中で運動を持続させる方が向いているのだと思う。
とはいえ、生活リズムが一変し、運動する機会とコミュニティを奪われた母の体力が低下しているのは明らか。背面や臀部の筋肉の使用頻度が減ったことで姿勢に変化が出ている。以前よりも前傾姿勢になっているのは一目瞭然。そのままの姿勢で生活するから腰に負担が生じているのがわかるし、腰の痛みも伴って歩幅が狭い。たった3〜4ヶ月行動範囲が制限されるだけで体力が衰えてしまうのだから、いかに日常動作が運動量を生み出していたのかがよくわかる。
それでもNHKのテレビ体操を観ながら動いたり、これまでに体操教室で教わったことを思い出しながら復習してみたり、それなりに気が向いた時に「自主トレ」はしているようだが、「やらないよりかはマシ」程度なんじゃないかなと私は予想している。本人には伝えていない。
そこまで母の身体を評価できているのなら、私自身が親のパーソナルトレーニング指導をすればいいのだろうが、なかなかそうもわけにもいかないのが親子という間柄かもしれない。因みにウチは家族全員仲が良い。家族全員よく喋る。それ故に娘という立ち位置と指導する側としての立ち位置のバランス調整が難しいのかもしれない。
「親のことを考えて」 良かれと思って放ったアドバイスがネガティブな方向に進んでしまうことがある。つまりは、言わなくてもいい余計な発言をしてしまうというケース。例えば、「腰が前より曲がって来たから運動した方がいいよ」とか、「これをもっと食べなきゃ」とか。これじゃ一方的に言い放つだけで根本的な解決策を提案していない。伝え方ひとつで相手のモチベーションを下げてしまうことってある。このように良かれと思って発した言葉が良からぬ結果を生んでしまうのが親子だ。かといって仕事モードで母に接するのも違和感がある。親は親で、娘が運動指導ができることを漠然とは知っていても、実際どんな運動指導ができるのか詳細はわかっていないだろうし、そもそも娘に運動指導を頼むのは気が引けるという感情があるだろう。その気持ちはよく理解できる。
なので、これまでは私自身が直接指導するという行為は避け、マンツーマンの運動指導を外注したり、その時に適した医療や運動環境のサポートなど、あくまでも裏方操作に徹していた。親も娘のマネジメントのもと「他人」に身を預けたほうが気が楽だと思うし。
とはいえ、例の体操教室は行けないし、一人で黙々と効果的なストレッチや運動はなかなか難しい。スマホやPCを駆使したオンラインでの運動指導はシニアにはまだまだハードルが高い。このままだと母の体力は劣る一方。まさに四面楚歌。今回ばかりは私が運動指導を買って出ることにした。
娘目線で物事を決めつけないように心掛け、良かれと思って放った言葉で相手のモチベーションを下げないように。そして母の意思を尊重する。
神経質になりすぎるくらいに感染防止対策をし、実家を訪問。
実家のリビングにはヨガマットもストレッチポールもある。バランスボールだってある。運動環境は完璧。